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厚生労働省資料「働き方の未来 2035:一人ひとりが輝くために」を参考にした考察

厚生労働省の資料を参考に、私たちの働き方が、今後大きな社会的時流の中でどのように変わっていくのか考えてみましょう。

未来予測で大切な政府の方針

参考資料▶︎厚労省:働き方の未来2035〜一人ひとりが輝くために〜(画像クリックでリンクへ)

私たちの仕事には、法律などの政府次第で規定される側面が多々あります。未来のことを考えるとき、政府がどのように未来の働き方を考えているのかを知っておくことは非常に重要です。

人生の約6分の1は仕事(金銭的な報酬を得るために行うことだけではなく、家事・育児も仕事と定義します。)に時間を費やすといわれています。それだけの時間を費やす仕事の内容や働き方を変えることで、私たちの人生は全く違ったものになることは間違いありません。

科学技術と情報革命

18世紀後半にイギリスで産業革命が起こり、それから世界中で工業化モデルの働き方が浸透していきました。

工業化モデルの働き方とは、郊外に住み、毎朝自宅近くの工場(職場)に出勤し、残った夫婦の一方が家庭で家事を行うというライフスタイルです。このような働き方をする肉体労働者をブルーカラー、知的労働者をホワイトカラーと呼んだりもしました。

2000年頃から日本の家庭でインターネット(PCやスマホ)が爆発的に普及し、工業化時代から現在は情報革命の真っ只中と言われています。

工業社会と情報社会の違いは、大きく分けて以下の点が挙げられるのではないでしょうか。

〜情報化社会〜

①『場所と時間の制約が少ない』

インターネット、豊富なウェブプラットホームを活用するため土地や空間に縛られない。

②『コストが掛からないため利益が得やすい』

情報が資本となるため投資が少なくて済み、小資本の個人でも事業を始めやすい。

Campfireの家入一真さんは、「インターネットは農民の竹槍のようなもの」と言っています。まさしく、小資本で個人でも大きな戦いができる環境こそがインターネットが全世界に普及した世界、つまりは「情報化社会」です。

前の工業社会では、資本家と呼ばれる巨大な資本を持った人たちが土地を所有し、そこに工場などの建物を建て、その資本を使って労働者が働く、という労働環境によって社会が成り立っていました。

しかし、情報化社会では、今のアメリカと中国のファーウェィや5G回線を巡る争いのように、土地やモノではなく、「情報」が資本となります。(よって他国の土地やヒト・モノを強制的に奪う旧来の戦争は今後起こりにくい、とも言われています。費用対効果が悪すぎるためです。その代わりに情報戦争とも呼べる”データの奪い合い”が起きる可能性があります。)

今後、今現在でも、土地や工場、労働力の代わりに重要になるのが「情報」です。

さて、ここまでが今の時代のざっくりとした大きな流れです。

「Work Shift:ワークシフト」

この流れの中、ある書籍が出現します。「Work Shift」という書籍です。

日本の働き方や仕事関係の政策はほとんどこの書籍を参考にしているのではないか?というくらいに厚労省の資料と似通った内容です。

ワークシフトでは、上の時間や場所に縛られない働き方について詳細が書かれています。

さらに、少子高齢化(未来予測では人口の統計が最も未来予測の因子として信憑性が高いとされています。疫病や戦争がない限り、統計通りに進むことが過去に証明されているためです。)の未来を考察した上での働き方が提唱されています。

これからどうやって働いていこう?と考える方は絶対に目を通しておいた方が良い書籍だと思います。

プロジェクトベースの仕事

これからさらに個人はお金のためだけでなく、自己実現のために仕事をするようになります。企業などの組織は、変化の早い時代に対応するため、柔軟な正社員以外の雇用形態も一般的になります。正社員や非正規社員などの垣根もなくなり、雇用の枠組みは大した意味を持たないようになります。

このような流れの中で、会社という1つの組織の中だけで極限的な仕事をするのではなく、今後はプロジェクト単位で柔軟に仕事を進めるスタイルの働き方が出てきます。実際、もうすでに私たちの周りでもそのように働く人たちがたくさん居ます。

個人でビジネスをする視点さえあれば、ウェブ上に溢れる「スキルシェアサービス」を使って、個人事業をネット上で進めていくことも可能です。知り合い同士、仲間内でチームを作って小商い(スモールビジネス)を行っても良いと思います。

複数の様々な組織のプロジェクトに関わり、多層的にいろんな組織に所属する人たちも出てきます。中には、金銭的な報酬が目当てではなく、

・社会貢献をするために、

自己実現をするために(なりたい自分に近づくために)、

仕事に一生懸命取り組む人もたくさんいるでしょう。

個人事業主と従業員の境目はどんどん曖昧になり、組織と対等な関係性を築き始めます。

これからは「自分は、こういう理由で、こういうことをやっている、こういう者だ。」とSNSを使ってはっきりと外部に提示し、その専門知識とスキルを使って(横に展開して)収入を得る人が増えてくるとされています。

逆にいうと、私のように理学療法士など国家資格や「専門家」という言葉は大した意味のないものになってきます。なぜなら、未来の労働市場では、誰もが何らかの「専門家」になるからです。

未来の専門家は、今の時代の専門家とは少し意味合いが違います。

例えば、「動画編集の専門家」の場合、未来においては、企業向けから個人向け、youtubeから商品のPR動画の編集、様々な小さな分野での動画編集の専門家が乱立する形になります。つまり、専門家がもっともっと細分化されていき、グラデーションのように「小さな世界の専門家」がたくさん存在する世の中になっていくでしょう。

好きを仕事に

その時に、やはり特に好きな分野がある人は強いと思います。

好きなことをするには勉強など必要ありません。勉強せずとも、娯楽のように関連資料を読み、休日には勉強会に自然と時間をみつけて参加するようになります。

「好きを仕事に」することで、自分の強みで収入を得られる可能性が高くなっていきます。

そもそも、未来の職業において、「遊びの専門家」がいても良いのかもしれませんね。

その人の趣味嗜好・ライフスタイルを徹底的にお金を貰って分析し、休日に心も体もリフレッシュできる「遊び」を提案する仕事です。日本人は積極的に遊んだり、休むことが苦手な傾向があると感じます。休日に積極的に遊ぶことで、また仕事に精を出すことができます。

10年後には私たちの今の価値観では想像もつかない職業がたくさん生まれているのかもしれません。

キーワードは「C&C」(コミュニティ&コミュニケーション)

以前の会社組織は「コミュニティ」という役割もありましたが、科学技術の発達で時間や場所に囚われず、さらに組織や会社にも囚われず働く人が増えていく中、今後急速にその役割が失われていきます。

一昔前の会社の上司は、「親父(オヤジ)」のように部下を育て、時には厳しく叱ったりもしました。しかし、今では「パワハラ」などの言葉に象徴されるように上司の役割が異なってきています。これは肌感でも感じるところではないでしょうか。

IT技術を活用すれば、出勤せずとも自宅で仕事ができるので、おそらく自宅周辺の「地域」に再びコミュニティとしての役割が戻ってくるでしょう。

仕事上でもプロジェクトごとにコミュニティを形成し、目的を達成するための活動を行います。住んでいる地域では生活のためのコミュニティが形成されていくでしょう。

その中でもSNSなどインターネット上で価値観の合う者同士が繋がり合い、ひと昔前のように閉鎖的なコミュニティではなく、出入り自由、人とコミュニティがくっついたり離れたりしながらその都度コミュニティが形成されていき、現実社会でのコミュニティとネット上でのコミュニティに個人が多層的に複数のコミュニティに属するようになってくることが推測されます。

 

仕事でも生活上でもコミュニティが大きな役割を持つようになり、その中で、他者を励ましたり、勇気付けたり、適切に自己開示を行い、コミュニケーションを他者と適切に図れる人が今後活躍していくのではないでしょうか。

多層構造の社会での本質とは

選択肢が増えるほど人は”選択する”という「自由」という「悩み」を持つようになります。上述のように、プロジェクトやコミュニティに多層的に関わる人が増えてくる中で、本質的に重要なものが何なのかわかりにくい社会になっていくかもしれません。

しかし、インターネットがいくら発達しても、結局、それを操作するのは人です。インターネットやITは、”人の繋がり”を容易にするだけの道具に過ぎません。今後も、人と人を繋げ、信用を得ることができる人が仕事でも生活でも活躍することができるでしょう。

ネットや仮想空間でのやりとりが増えてくれば尚更のこと、泥臭く、直接会って身振り手振りを交えて話すようなコミュニケーションが価値を持つようになります。

対面での人と人のやりとりや気遣い・心配りができ、信頼を得ることができる人が皆から大切にされ、未来においても仲間に囲まれて幸せに生きることができるでしょう。

結局、いつの時代も、人と人の関係性から仕事、生活が生まれ、そこに人の幸せも同居しているのです。

いつまで経っても、いくら情報化社会が進んでも、人と人の関係性、信頼、絆といった泥臭く、人間臭い世界にこそ、この人間社会の本質的な価値があるのだろうと思います。

むしろ、逆説的ですが、時代が進めば進むほど、そういった”人間臭さ”は今後一層貴重な価値を持つようになるでしょう。

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