1. HOME
  2. ブログ
  3. 「ウーバーイーツ体験記③」シェアされるのはいったい誰だ?! ”がっつり3段”

「ウーバーイーツ体験記③」シェアされるのはいったい誰だ?! ”がっつり3段”

ウーバーイーツ

シェアリングエコノミーはホントに良いもの?!

僕がココで本当に伝えたいことを記していこう。

キーワードは、3つ。

  1. 【移り変わる生活】
  2. 【無駄を生む社会】
  3. 【シェアする意義】

である。

1、移り変わる生活

食べ物がアズユーライクな具合に、今この場所に届く・・そんな生活が成り立っているけれど、ふと様々、顧みてみよう。

例えば、これまで我々はおなかすいたなーと思えば、自分で調理するか、自分で買いにでるか、もしくは、料理店に食べに出るか、出前を頼んできたのだけれど、フードデリバリーの存在により、外に出る必要が減るかもしれない。従来の出前より、より早く、また、人員や装備をもっていない店で出前を出すことができるようになったことの影響は大きい。

 

フードデリバリー産業で、スマホ、タブレットというデバイスをつかって個人(ドライバー)と店舗を繋げるようになった・・・それは、例えば、物販や輸送においても、同様のことが可能になるかも、ということは用意に想像させる。

アマゾンという巨大な物販モンスターが現れたり、配送会社にとって、捌くのが困難な程の荷物があふれ出ている以上、個人で近所に宅配してもらう委託サービスが出てくるかもしれない。

 

いよいよ便利な世の中になるということだ。それはこれまでにも言われてきたし、それ自体、素晴らしいことだ。

しかし、実際ウーバーイーツでドライバーをしながら、しかも、良い仕事だなぁという

僕の中には、同時に、便利の行きつく先は、割ともう先がしれているのかもしれないなあという何かしらの違和感がある。

 

さて、「移り変わる生活」とは、言葉の上では可逆性のあるニュアンス言葉だけど、現実はどうだろうか。

我々は、不便を甘んじて受け入れることができるだろうか?

この【便利さ】を手放すとしたら、それ相応の大きなダメージがあってこそじゃないだろうか。

2、無駄を生む社会

生活は「利便性追及に」移り変わり、新しい技術の粋が比較的早く一般生活にまで降りてくるようになれば、サービス内容、そして技術、特に運用上の「質の向上」は勢いをつける。

 

もちろん、「質の向上」とは「安全性の担保は当たり前として」でこそ、評価されるものだから・・・、結果として、「安全性を考慮すること×質のを向上」となるのは、当たり前のことだ。その結果、歪(いびつ)さが生れることもこの世の常である。

 

例えば、ウーバー・イーツのドライバーをしていて、急に行くようになった場所No.1はタワーマンション、通称「タワマン」である。

 

日常生活で、こんなところ来ることなかったよ・・というような高い高い塔の上の住人の為、福島や中之島、大阪の街並みが綺羅星のごとく感じられるエレベーターは30階以上に昇っていく・・・・のだけど、細かくいうと、入り口で行先の部屋番号を押せるパターンと、セキュリティの関係上、ガードマン見守りの上、外部から入りましたよリストに名を連ねないといけないことがある。

入り口で行き先の番号を押せるパターンにしても、基本は、低層階(10階以下)で一旦、エレベーターを乗り換え(都度、インターフォンを押し、承認を得る)その後、高層階に向かうものがほとんど、だ。

何も安全面を考慮しながら、新しいサービスが展開されて、試行錯誤と日進月歩があることそのものはとても良いことだと思うのだけど、ちょっと、いぶかしげな気持ちになるのは、あれれ・・・【シェアリング・エコノミー】は、持続可能な発展を維持する社会にとっての方策だった・・んじゃなかったっけ。

新しいサービスの為に、こんなあからさまな無駄が出来ていくの?

「こんなに、スピーディなバトンリレーで流れてきたのに、めっちゃもたつくやん」

「なんなら、ここで(自転車/バイク移動が終わり、後は届ける行程)もたつくことは、ドライバーにとってのメリットがまるでないんやけど」(ドライバーの報酬が、店舗での商品のピックアップ+移動+顧客に手渡すこと、で発生し、また、ドライバーにとっては、一件一件の案件をいかに、流れるように処理できるか・・で一日の報酬がずいぶん変わるのである)

ここで気づく。

あれ?

シェアリング・エコノミーって、販売者・消費者・委託業者がall win になるような設計ではないんじゃね?

3、シェアする意義

シェアリング・エコノミーとは、モノヒトなどの資源をシェアすることで、社会のメリットを大きくすることだと思っているが、少なくともウーバーイーツをしていて感じるのは、シェアする側とシェアされる側では、まるで違う生活と、まるで違う現実があるのだということだった。

もちろん、これまで述べてきたメリットは、全て、嘘偽りない印象であり、イチ労働者として、楽しく働けるし、自由もある。それは確かだ。

だけれども、他方で、社会全体での評価をした場合に、ただ純粋に『未来型サービスで、イイ感じDANE!』と浮かれてられない気もしたんだ。

自転車のマナーも含めて、法規制は曖昧な中で、こういったサービスが増えることのリスクの増大、空いている時間を効率的に使える⇒効率的に動けば、効率的に稼げるという言説は、社会全般のオペレーションを逆に下げることになっているんじゃないか。

「自分で取りに行く、自分で買いに行くなら、わざわざ、遠い遠い距離をタピオカだけ買いにいくような【無駄】をするだろうか?」

果たして、シェアすることの意義はそこにあるだろうか。

世の中、みな 「シェアする」・・・という言葉に踊らされていないか??

 

次回、「終わりの段」に続く▶️「ウーバーイーツ体験記④」シェアリング・エコノミー×フクシの可能性〜効率と生産性、創造〜”オワリの4段”

The following two tabs change content below.
さがんよしふみ
Life is Art.を旗印に「高齢者というメディア」を嗜む。バーテンダー、ライター、介護畑の運営サポート等、3足以上のわらじを履く。 日本最古?日替りマスター制度の【COMMON BAR SINGLES】と自転車タクシー✖️レンタルスペース【京橋ベース・サンリンズ 】を運営中。

関連記事