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「必然の偶然に出会う場所 ワーシャル」WEBマガジン編集長 西野英行の雑記

ワーシャルWEBマガジン

この度、一般社団法人ワーシャルWEB編集長として、サイトの運営及び管理をさせて頂くことになりました、理学療法士ブロガーの西野英行と申します。

ご挨拶として、私が考える、今後の働き方や仕事・キャリアについての雑感を記してみたいと思います。

今後、医療介護職の仕事観は大きく変わっていく

私は、未来のPTという、リハビリブログの運営を通して100人以上の医療職(主にセラピスト)と関わってきた自身の経験から、キャリア形成の方法論や働き方が目まぐるしく変わっていく今の時代において、

  • 選択肢が多すぎて選べない
  • どう自分の新しい働き方を構築すれば良いのか、実際にどう動いて良いの分からない

という人に沢山出会ってきた。(特に過去の慣習・制度と新しい潮流の両方理解できる20歳代後半~30歳代前半に特に顕著である。)

 

自分もそうだったが、医療職は自身の仕事の潜在的で大きな社会的意義やビジネスとしての将来性と可能性を見出している。しかし、一方で保険や国の制度、すでに決まっている枠の中でしか個人としての働き方を広げていけないという息苦しさ、閉塞感も感じている。

  • 「業界の外に出て自由に羽ばたいてみたい」
  • 「自分らしく、今の時代にフィットした形で、医療や介護福祉をデザインし直したい」

そう思っている人も多いし、実際に色んな素晴らしいアイデアを持っていて、頭の中で理想を想い描いている人も多い。

しかし、同時に”国の保護がない状況で自分でビジネスをする”というスキルを持ち合わせていない、またはそれを過去のキャリア形成において育ててこれなかったことも自覚しており、悩みは深く、専門職の性(サガ)として常に様々な自己研鑽を続けつつも悶々と悩んでいる。

私はそれを、”医療介護職は、一生懸命頑張っているのに報われにくい現状にある”と認識しており、非常に歯痒く感じる。

 

また、狭い専門の範囲の知識、人脈や交流しか持ち得ていない人が大半で、他業界の新しい知識、見解や考え方、生き方に触れる機会が極端に少ない。「専門職独特のテンプレート的思考のフレーム」を破りたいが破れない。

学校教育でも専門分野の狭い具体的な知識(これがテンプレート的思考のフレームの元になっている)だけを教えているのが現状で、もっと抽象的で漠然とした、感性を解き放つような、でも非常に有意義な「自分の歩んでいく人生の方向性を決める」という知識はほとんど教えられない。

むしろ、具体的な知識以外は役に立たないものだと教えられ、そういったものを無下に否定してしまう思考体系が形成されてしまうように感じる。

 

経済成長が著しく鈍化した日本の国と一心同体であり、仕事の対価が国から支払われる多くの医療介護職は焦っている。”何かを変えなければ”と強く思っている。

しかし、具体的に何をどう変えれば良いのか、いつになってもはっきり掴めない。それがまた焦りを深める。

 

私が思うに、それはきっと、頭で考えて思いつくものではなく、手と体を”あえて”闇雲に動かして、汗を流すことで初めて得られる”実感に根ざしたひらめき”がピースとして必須なのだ。

そんな足りないピースを埋めるための、”実験的に闇雲に動ける場”が今はまだ、ほとんどない。

働き方にも個性が求められるようになる

人類の歴史が始まって以来、人は仕事を通して、

  • 個人の人生・生活
  • 文化や技術(テクノロジー)

など、ほとんどの”社会的なモノ”を形成してきている。

つまり、仕事=生き方、人生であり、社会であり文化・歴史でもある。人間にとって、切っても切り離せないものである。

私は、もし日本でベーシックインカムが導入されても、一旦仕事を辞めたりする人もいるとは思うが、いつか必ず(今とは違った労働形態の可能性が高いが)復職する人が沢山出てくると思う。

人はたとえ生活のために稼ぐ必要が無くなっても”仕事をしたい”と思うのではないか。仕事は、社会が成熟するに従い、社会的生物としての人間に本能的に組み込まれた”後天的な本能の一部”だと思っている。

仕事は人生を輝かせるために絶対に必要な”スパイス”みたいなものである。

仕事(狭義の定義ではなく、子育てや家事ももちろん側(ハタ)を楽にする”ハタラク”仕事である)がなければ、きっと、悲しむことも喜ぶことも、苦しむことも楽しむことも、奪われることも与えることも、飛び跳ねたいくらいに胸を踊らせることも、ドラマチックな何かが、何もかも薄く、少なく、人生が途端に味気ないものになってしまうだろう。

仕事は自然に人に色んな感情を生じさせてくれる。人生を限りなくリアルなドラマにするために必須なのである。

人生が十人十色であることが当然であるように、また、それを権利として個人が主張し、保護することが社会的に認められているように、働き方もサラリーマン、経営者などと型に当てはめる必要はなく、本来は”その人独自の働き方”があってしかるべきだと思う。

必然の偶然に出会う場所”ワーシャル”

個人におけるキャリアや働き方の考察というのは、まず、自分の特性と適性(何が好きで何をしたいか、自分はどんなことが人より簡単にできるのか)を理解することから始まる。人類に仕事が生まれた起源を考えると、そういった結論が出る。

”他の人が出来ないことを、代わりに得意な自分がやってあげる”。それが仕事が世に生まれた起源である。”ハタをラクにしたい”それが仕事の基本的で純粋な感覚である。

この特性や適性には、その人自身の過去の経験、つまりは個人の人生そのものが色濃く反映されている。思考が深い人は、その人の過去の人生において他の人よりも考えなければならない局面に立つ機会が多かったということであり、お金を稼ぐことが他の人より得意な人は、お金を稼ぐ必要がある人生を送ってきたということに他ならない。

つまり、仕事とは”自分の過去の人生をタネ(種)にして、ハタをラクにしていくことである”と私は理解している。

しかし、自分の特性と適性を理解することで、ある程度、大枠の働き方=人生の方向性は計画することができるが、絶対にその通りにいかない。これは絶対に断言できる。

また、逆に計画通りに行ってしまうことの方がつまらない、失敗のキャリア形成であるともいえる。ここがキャリアデザインの非常に面白いところで、実に人間臭いところである。キャリア形成においては「正解は正解ではない」し、そもそも「正解なんてない」のである。

 

私が今の私の両親の元に生まれてきたことが決定的に自身の命運を決めたように、人生も、働き方も同様で、そこには”必然に思えるような偶然の要素”が必須である。

もっと具体的に言うと、新たな人との出会い(人=”究極に編集・圧縮された膨大な情報の塊”)によってキャリアを意識的にドリフト(=流れ漂うこと)させる場所が必須なのである。

その場所には、好きなことを好きな人とできる安心をベースに、人と人が繋がれる環境があり、心から共感することができる、逞しく強い理念を持った人達がいるべきであると思う。

自分の人生を変えてしまうほどのインパクトを与える出来事というのは、頭で考え、論理的に100%理解できるようのものではなく、頭では理解できないが、心を動かされる強烈な感覚によって誘発される。

そのためには、数字や理論だけではなく、強烈な理念・理想を持った人がいることが必須である。

天才でもない限り、1人の頭で考えられることはたかが知れているし、一見簡単に理解できないことの中にこそ、その人のキャパシティやフレームの範疇を超えた、何か”本当に新しいこと”がある。

人の人生を本当に変える分岐点は、そこにしか存在しえない。そして、誰でも生来、心を震わせる感覚や直感によってそれを嗅ぎ取る本能が備わっているものである。

 

ワーシャルがそのような場所となるように、編集長として精一杯、情報発信を行なっていきたいと思っています。

未熟者で、自身も今だにドリフトしながら(きっと死ぬまでドリフトしていると思っている)ではありますが、皆さんと一緒に成長できれば光栄です。

これからもどうぞ宜しくお願い致します。

ワーシャルWEB編集長 西野英行

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生き方専門家 西野 英行
ポジティブ心理学実践インストラクター/理学療法士/ブロガー。本業をしながら、個人で多方面に活動する「セミフリーランス」という新しい働き方を実践中。著書「100歳まで元気でいるための歩き方&杖の使い方」

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